介護小説 衣裏の宝珠たち 記事一覧

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等
は全て架空のものであります。

第21話 紅 仁義(くれない じんぎ)さんが登場ということ 

  「みなさーん、今週1週間は敬老会記念ということで、曜日ごとに盛りだくさんの
   企画がありますので、是非楽しんでいってくださいねー」
   パチパチパチ。
  「おうっしー!酒は出るんじゃろうなー」
  「あ、室井さん、いい質問ですねー。もちろんですよー、じゃんじゃん呑んで楽し
   んでいってください。あ、それからみなさーん、今日からですね、新しい方が、
   入りましたー。ご紹介致しますねー。紅 仁義(くれない じんぎ)さんでーす!」
   パチパチパチ。
  「では、紅さん、皆さんに一言お願いします」
  「おう、くれない!頑張れやー!」
  「ちょっと室井さん…静かに」


   パチパチパチ。
  「はい、紅さん有難うございました。皆さん、よろしくお願いしますね」
  「おう!仲良くしてやるぞー!くれない!こっち来て、さー呑め!」


  「おお。呑め、呑め。お?ところでお前、その指どーしたんだ?」
  「………」
  「………」

  「あ、あははは、もう、室井さんたら、いいじゃないですか、そんなことは、ね。
   さ、紅さん、の、呑みましょうね」
  「え?主任さん、聞いちゃまずかったか?くれない、別にいいんじゃろ?」

  「若気の至り?」
  「も、もう、室井さん…若気の至りは若気の至りなの、ね、あははは」
  「ふーん」
「あ、あははは。そうだったんですか、あははは」
  「そうか。わしはてっきり……」
  「さー室井さん!あっちに行きましょう!おもしろーいのがありますよー!
   中村さーん!室井さんをお連れしてー!さ、どうぞどうぞ!」
  「おわ!な、なんじゃ?」
   シュッシュッシュッ。
  「ふー。あ、すみませんね、紅さん。室井さんも悪気があって聞いた訳ではないので」
  「い、いえ、私は別に…」

  「あ、やっぱり……あ、いえいえ、ああ、そうでしたか…」

  「は、はあ…。あ、と、ところで、外に黒塗りの車がいっぱい止まってますけど、
   あれはやっぱり…」


  「は、はあ、やっぱりね…。そう…でしたか…。あははは…えぇと…あ、紅さんって
   ケアマネさんから戴いた情報ですと、要介護5になってましたけど、け、結構、
   お元気ですよね…」

  「は?」

  「そ、そうですね…ま、トップといいましょうか…」

  「そ、そうですね…ま、正確には市が認定しますけどね…」

  ---回想 はじまり---

  「おい、われー!親父の認定が幾つか言えんちゅーことか、おう!」

  「は…はい…あ、あのう、私が決める訳ではなくってですね…それは市が…」
  「それはさっき聞いたわい!」
  「は、はい!」
  「じゃあー聞くがな、われは一体何者なんじゃ、おう!」
  「は、はい!ですから、私は市から委託をされた調査員でして…」
  「おう!親父にさんざん、立てだ、座れだ、歩けだ、腕をあげろだの、おう!
   さんざんやらせておいて、それで今の答えでええんかいのー、おう!」

  「は、はい!」
  「それにだ、われー親父に質問しておいて、のう、日付がどうじゃ、ここは
   何処じゃ、とあれこれ聞いておって、おう、われは答えられん、て筋が通る
   んかいのー、おう!」

  「はい!」
  「親父は、その認定なんだらが幾つになるか、聞いておるんじゃ、答えてつかー
   さいな、のう」

  「は、はい…。わ、分かりました…で、では、これはあくまでも私の独り言です
   ので、それでよろしいでしょうか。私は紅さんには言ってませんので、あくまで
   も、私の独り言ですから」
  「分かったわい、はよう言いや」
  「は、はい…お、おそらく、このチェックですと、よ、要支援、くらいかなーと」
  「なにー、要支援だー?おう、その要支援ていうのは、トップかいのう」
  「ト、トップと言いますと…」
  「一番か、と聞いてるんじゃ!」
  「あ、い、いえ、あのう、何処をトップとみるかによってなんですが、まーそうです
   ね、認定では、い、一番軽いほうかと…」
  「なんだー!」
  「はい!」
  「われー!親父が一番軽いっちゅうことか!おう!何処が
どう軽い人間なんじゃ!おう!」

  「い、いえ決して人間性とかではなくってですね…」
  「やり直せ!」
  「は?」
  「トップになるよう、やり直さんかい!」
  「は、はあ…い、いえ、あのう…それは…」
  「親父はトップがええんじゃ!やり直さんかい!」
  「は、はい!」
  ---回想 おわり---

  「…………」

  「…………そ、そ、そうですね…は、はは…」


  「は、はい!こ、こちらこそ!よ、よろしくです…」

  「あ、あははは…わ、私は大丈夫です…はい…お気遣いありがとうございます…
   あははは…た、楽しくやりましょうね…紅さん…あはははは」

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等は
 全て架空のものであります。

第20話 台風が接近しているということ 


   ゴオッー。ミシミシミシ。
  「主任、段々凄い降りになってきましたね」
  「そうね、中村さん、外のでっかい鉢、中にいれてくれた?」
  「入れました。とても重かったですけど…」
  「ふふふ、ありがとうね、大変だったでしょ。それにしても、皆さん着いてから
   凄い降りになるとはねー」
  「夕方には止むんでしょうか」
  「今がピークだというから、夕方は大丈夫じゃないかな。でないと、皆さん、帰れ
   なくなるものね」
  「ええ」
   シュッシュッシュッ。
  「おい、主任さん、飛ばされるんじゃないか、ここの建物は」
  「あ、室井さん、大丈夫ですよ、うちは頑丈ですから。ゴジラが踏んでも大丈夫です」
  「ゴジラじゃ潰れるだろうよ。―――しかし俺は思うんじゃが、今回のは台風6号
   じゃろ。言い方パッとせんよなー」
  「アメリカみたいに名前つけたほうがいい、ということですか?」
  「台風に名前なんかおかしいだろ。≪ 本日、フィリピン付近に、花子が発生しまし
   た ≫なんて笑っちゃうぞ」
  「まー、花子はどうかと思いますけど…」

  「 ≪本日、吉永小百合が発生しました ≫だったら、俺、台風に向かっていくね」

  「あははは。私も ≪ 高倉 健 ≫でしたら行くわねー」
  「それか、いちいち年ごとに何号、なんてケチな真似はしないで、累積にすればいい
   んだよ。今までのを合わせるんじゃ。台風、450号 とか。偉いすごそうじゃろ」
  「450号だと凄い台風な感じですよね、たしかに」
  「600号 なんていうと、嬉しくなっちゃうね。記念だよ、俺の家は600号で倒
   れたんだー、なんて自慢にもなる」
  「また、そんな…」
   ゴオッー。ミシミシミシ。ユラッ。
  「あ!」
  「おい!今、揺れたぞ、主任さん、大丈夫か?」
  「あ、はははは…大丈夫、大丈夫ですよ。倒れる訳ないじゃないですか…」
  「主任…大丈夫ですか?」
  「え?た、たぶん、大丈夫だと思うんだけど…」
  「た、たぶん、ですか?」
  「おい、何をコソコソ話してるんじゃ。おう、大丈夫なのか?本気で心配になって
   きたぞ」
  「え?あ、あははは、室井さん、大丈夫ですよ、い、いやだわー、ね、中村さん」
  「そ、そうですよ、はははは」
   ポタッ。ポタッ。ポタッ。

  「ん?」
  「え?」
  「お?」
  「あ!主任!あ、あそこの天井から、あ、雨漏りがしてます!ほら、あそこです!」
  「ほ、ほんとだわ、ど、どうしよう?」
  「な、なんだ、今の音は?」
  「え?あ、ああ、あれは、あれですよ、ほら、ねー、中村さん、ほら」
  「ず、ずるいですよー主任!ああ、あれねー、そうねー、水槽がもう古くなっているから
   取り換えないとねー、困ったわー、ねー主任」
  「そ、そうね、う、うちは予算がねー、でも、そろそろ換えどきの時期よねー」
  「水槽か?」
  「え、ええ。さーてと、お昼の準備をしてこよっかなー、ね、中村さん。」
  「そ、そうですね、主任、ふ、二人でやりましょうね。じゃ、じゃあ、ちょっと行っ
   てくるわね、室井さん」
  「は?いつも俺なんかに断っていかねーだろーに。行くならさっさと行ってこい」
  「あ、ははは、そうですね、じゃあ、そろそろ…」
   パチッ。
  「あ!」
  「あ!」
  「お!て、停電か!」
  「そ、そうみたいですね…。中村さん、皆さん、見てきて」
  「は、はい!」
  「日中だからいいけど、夜だったら、真っ暗で何も見えんな、これじゃ」
  「え、ええ」

   ゴオッー。ミシミシミシ。ユラユラッ!
  「きゃ!」
  「お!」
  「―――!」
  「い、今の揺れは凄かったぞ、こりゃー倒れるぞ、ここ」
  「い、いやだわ、はは、室井さん、たら、もう」
   ポタッ。ポタッ。―――ポタポタポタポタポタ。
  「きゃ」
  「お、おお!あ、あそこから、水が落ちてるぞ、おい、あれ、雨じゃないか?」
  「ち、ちがいますよ…あ、あれは…」
   ポタポタポタポタポタ。―――――。―――――。
  「ん?」
  「あ、と、止まりましたね…」
  「そ、そのようだな…」
  「ホッ」
  「今のは雨漏れなんじゃないのか?」
  「ち、ちがいますよ…わ、私たちの施設に限って…」
   ゴオッー。ミシミシミシ。ユラユラユラ!ドーーーン!!

  「きゃ!」
  「か、雷が落ちた!」
   ポタポタポタ。
  「ち、近くに落ちたのかしら」
  「相当近いぞ、今のは!」
   ポタポタポタポタポタ。ザ、ザザーーーーーーン!!
  「きゃあー!!」
  「お、おわ!な、なんだ、あの水は!!」
  「きゃあー、中村さーん!!早くこっちへ来て!た、大変よー!」
  「おお、主任さん、ありゃー雨漏れの決壊じゃよ。だ、大洪水じゃ!」
  「ち、ちがいます…あ、あれは、ただの…」
   ザザーーーーーーン!!

  「きゃあー!!」
  「おわ!た、台風が中に入ってこよった!」
  「花子よー!」
  「あほか、こんな時に。おお!主任さん、バケツじゃ!バケツじゃ!」
  「きゃあー、花子が来たー!!」
   ザザーーーーーーン!!

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等
 は全て架空のものであります。

第19話 長宗我部さんの女性論ということ 

  「きゃあー主任!また室井さんが、室井さんが!」
  「ええ!またー!中村さん、どこ、どこ!」
  「こっちです、主任!」
  「あ!室井さん!ダメですよ、長宗我部さんをヘッドロックしちゃー!」

  「アイタタタタタ」
  「こりゃ、チョー、まいったか、こりゃ」
  「室井さん、離れて。―――もう、何があったんですか」
  「オーイタタタタタ」
  「ふん、例によって例じゃよ。うるさいったらありゃしない、ふん」
  「え?あ、じゃあ、またあの短歌を詠んでいたんですか」
  「そうじゃよ、まーったくうるさいったらありゃしない。なーにが、≪君恋し…≫
   だ、お前はそれしか言えんのか、アホたれ」
  「………」
  「いいじゃないですか、別に誰に迷惑かけている訳ではないんだし」
  「俺は迷惑じゃよ、聞きたくもない俳句なんか!」
  「……短歌です……」

  「な…なにをー、こいつ、口が減らんやつじゃ!」
  「アイタタタタタ」
  「室井さん!だからダメですって!んもう、室井さんも室井さんですよ、いいじゃ
   ないですか、歌を詠むくらい、そんなに怒らなくても」
  「ふん、こいつが女たらしじゃからよ」
  「え?どうしてです?」
  「こいつは、米田のばあさんと付き合っているにもかかわらずだ、まーだ、留守さん
   をあきらめきれん。いいか、チョー!二股かけよう、なんて男の風上にもおけん」
  「そ、そうなんですか……長宗我部さん…」
  「い、いえ、私はただ、自分の気持ちを正直に女性に伝えているだけです」
  「………」

  「これは罪ですか、高村主任さん。女性に愛を伝えることは罪なんでしょうか」
  「い…いえ…そんなことは…」
   「齢(よわい)を重ねても、女性を好きになることは罪悪なんでしょうか、あの
   トルストイもそんなことを言いましたか?」
  「え?ト、トルト……スイ?」

  「トルストイです。例え副腎ホルモンが減少したとしても、私という、こころが
   それを超越しているんですよ、そして愛が生まれるんです!」
  「え…ええ…」
  「な?こいつ、おかしいだろ」
  「モーパッサンの≪ 女の一生 ≫を読みましたか?」
  「モー…パスタ…?」
  「モーパッサンです!」

  「い、いえ…あ、ははは、私は本が苦手で…はは」
  「ダメです!」
  「え?」
  「ダメですよ、それじゃー!女でこの世に生まれながら、くっー!嘆かわしい!」
  「は、はあ…」
  「な?段々腹が立つじゃろ、この男には」
  「石川さゆりですよ!」
  「へ?」
  「石川さゆりです!知ってますか!」

  「は、はあ…知っていますけど…な、なんか唐突すぎて…」
  「なんだこいつ、また訳の分からんことを言い始めたぞ」
  「♪隠しきれーないー移り香がー、いつしかあなーたにー、浸みーついたー♪」
  「今度は歌いだした!」
  「♪誰かに盗らーれるー、くーらいならー♪はい!」
  「え?」
  「主任さん、この次!」
  「え…ええと…」
  「♪あなたをころーしてーいいーですーかー♪でしょ!」
  「は…はあ…」
  「こいつ、結局自分で歌いきりやがった」
  「≪ 天城越え ≫です!」

  「え、ええ、それは知っていますが…」
  「女の情念を歌っています」
  「そ、そのようですね…」
  「情念はありますか?」
  「じょ…情念というのは…どうも私には…」
  「私にはあります!」
  「お、女の情念が…ですか…」
  「あるというか、分かるんですよ、私には」
  「は…はあ…」
  「主任さん、こんなバカと関わるだけ時間のムダじゃよ、ほれ、もう送迎の時間
   じゃろに、準備せんでいいのか」
  「あ、そ、そうですね、準備に行かないと。長宗我部さん、楽しいお話しをありがと」
  「訓練されておるねー、さすが主任さんになると。あんたのほうがよっぽど偉いぞ」
  「高村主任さん!まだです、まだですよ、これからが核心なんですよ!」
  「これ、チョー。お前みたいなのに付き合っている暇はないんだって、主任さんは」
  「ここからなんですよ、留守さんも米田さんも、私に恋焦がれる理由は!」
  「は?お、お前、なんちゅう解釈してるんだ、おめでたい奴だ…」
  「あ、あははは、長宗我部さん、有難うございました。また続きは来週聞かせて
  下さいね。とてもためになりました」
  「高村主任さん、独身でしょ。なぜか分かりますか?」
  「え?」
  「主任さん、チョーにヘッドロックしていいなら、いつでも合図をくれ」
  「一体なぜか?ご自分で問いかけたことありますか?」
  「と、とくには…」
  「でしょ!だから今もって独り身なのです!」
  「は、はあ…」
  「いつでもいいぞ、ヘッドロックする準備はできてるぞ」
  「その答えは、私が知っています」
  「あ、いえ、私はただ単純にまだ独りのほうが楽だからと、それだけなんですけど…」
  「違います!」
  「へ?」
  「私には分かります。その答えは!」
  「いつでもいいぞ、やるか主任さん?」
  「その答えは、実はですね!」
   パチ(高村主任のウインク)
  「こりゃーチョー!」

  「あ!アイタタタタタタ!アイタタタタタ!」
  「さ、送迎の準備に行ってこよっ」

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等
は全て架空のものであります。

第18話 シゲさんの入院ということ ③

   《 医療総合センター 》

   ガチャ。
  「――30番目でお待ちの方、どうぞ」
  
  「――あ、平さん、呼んでますよ、30番ですって」
  「え?あ、本当だ。では森さん、お言葉に甘えて、さきに行かせて戴きますよ」
  「どうぞどうぞ」
  「では」
  「お待たせ致しました。整理番号を拝見させて戴きます。―――有難うございます。
   それではどうぞ、行ってらっしゃいませ」
  「は、はあ…」
   ガチャ。

  「あら、平さん、お忙しいところ、どうもすみません」
  「あ、奥様、いえいえ、かえって遅くなってしまい申し訳ございません。留守さんの
   具合は如何がですか」
  「ええ、お蔭様で順調です。お母さん、平さんがいらっしゃいましたよ」
   平さん、ありがとうね。
  「留守さん!ああ、お元気そうで、少し安心しました。顔色もよさそうですね」
   いたって元気です。
  「お手伝いのクミさんに、救急車で搬送された、てことしか聞いてなくて。奥様は
   ずっとここで寝泊まりなさっているとか」

  「ええ、ここは面会用のベッドもお風呂もついてるし」
  「で、診断は何だったんですか?」
  「ええ、便秘でした」
  「へ?」
   ………。
  「便秘です」
  「は…はあ…」
   は、恥ずかしい…
  「土曜日の夜に急にお母さんが、お腹が痛いって言いましてね、で、
   主人が出張でいなかったものですから、相談もできず、そしたら、クミちゃん
   が救急車を呼んだほうがいいって言うもんですからね」
「はあ…」
  「救急隊の方も、これは様子みましょうって言ったんですけど、クミちゃんがなんか
   言ってしまったらしく」
  「クミさんが何と…」
  「まあ、色々と…」
   息子の名前を出しちゃったのよ、これが。
  「それで、こちらに入院することになったの」
  「そうだったんですか…そしたら、ご退院もすぐですね」
  「ところがそうではないのよねー」
  「便秘なのに、すぐにご退院できないんですか?」
  「ええ、院長先生が色々と全身の検査をするとかで、何でも粗相がないように、と」
  「へー、熱心な先生なんですね。良かったですね、留守さん」
   院長先生も息子の名前聞いてしまったからね。
  「それはそれは熱心ですよ。朝昼夕は毎回、回診にいらっしゃいますしね、ほら、
   白い巨塔みたいにゾロゾロと先生方がいらっしゃるんですよ」

  「へー」
   私は恥ずかしいです、なにしろただの便秘ですから…。
  「まだしばらくここにいるようです」
  「そうでしたか、あ、いやでも、ホッとしました、たいしたことなくって」
  「ええ」
   便秘ですから。
  「それにしても奥様、すごい花の数ですね、まるでフラワーパークのようですね」

  「そうなんですよ、もうここには入りきらないから、ここの看護婦さんたちにあげて
   るんですけど、それでもおっつかなくて」
   コンコンコン。
  「はい」
   ガチャ。
  「いかがですかあ、留守様、ご気分は」
  「あ、院長先生」
   また来た。
  「検査の結果も順調ですよ、MRIもCTの検査も全く問題ありませんでした」
  「そうですか、良かったわね、お母さん」
   だって便秘ですから…。
  「ええ、留守様が全く憂いなく、ご自宅にお帰りなられるよう全身全霊をかけて
   頑張っております!」
  「有難うございます」
  「ところで…、今日ご子息の方はいらっしゃる予定はありますか…」
  「主人ですか、ええ、主人は、仕事が終わってから、まっすぐこちらに来ると言っ
   てました」
  「そうですか、そうですか、あははは……で、何か私どもの病院のことを仰ってい
   ませんでしたか?」
  「え、ええ、とてもいきとどいた病院だと申してました」
  「そうですか、そうですか、あははは。私ども、患者様に対しておもてなしの精神
   で行っております!奥様、ホスピタルの語源はもともと、ホスピタリティー、つ
   まり、おもてなし、という意味なのです!私どもはそれを実践しております、はい!」
  「え、ええ……」
  「留守様、今日のメニューは、ホテルオークラじきじきのスペシャルメニューにしま
   しょう!」
   は?

  「あ、院長先生、そ、そこまでして戴かなくても、お昼も、3時も、コックさんが
   いらっしゃって、色々して戴きましたので」
  「そうですか、そうですか、あははは。いえ、うちの専属のシェフでして、帝国ホテ
   ル経験者なんですよ、そうでしたか、お楽しみしていただけましたか」
  「ええ、でも、さすがにお昼に、北京ダックは食べられませんでしたけど…」
  「あははは、雰囲気です、雰囲気、あははは」
  「それと、あれも、もういいと思うんです」
  「何でしょう?」
  「夜になって、バーテンダーさんがいらっしゃいますでしょ、カクテル作っていただ
  いても、母も主人も私もお酒飲まないですから…」

  「あ、そうでしたか、それは大変失礼致しました!では、今晩は、板前を呼んで
  寿司パーティーに変更いたしましょう!」
   いえいえ、そうではなくって、そっとしておいてほしいんですけど…。
  「え?いえいえ、あのう…」
  「そうですね、そうしましょう!――それに今晩は夏の終わりに中庭で花火もやりま
   すので、是非、ご堪能してください!」
  「え、ええ…」
  「あははは…で、ご子息は、何時頃、いらっしゃいますか?できれば、それに花火を
   あわせましょう!ね!パアッーと。あははは」

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等
は全て架空のものであります。

となりの芝が青く見える・・・
  近くを捨てて遠くに求める・・

作:なおとっち

第17話 シゲさんの入院ということ ②

   《 医療総合センター 》

  「あ、目を開けましたね、武田さん、大丈夫ですか」
  「う、うーん、お、ここは…」
  「採血室です」
  「血をとったのか」
  「いえ、血をとる前に倒れました」
  「私がか…」
  「ええ」
  「そうか…で、あなたは…」
  「私は平といいます」
  「ふーん、で、ここの病院の人か」
  「いえいえ、ここに入院している方の面会に来たのですが、いきがかりじょう
   何かこうなってしまいました。あ、でも良かったです。何ともないとのこと
   なので。歩けますか?」
  「そうかそうか、いや、ご迷惑かけて申し訳なかった。いや足は大丈夫」
  「武田さんもたしか7階の方ですよね。私がこれから面会に行くのも7階なんです」
  「ほう、そうかい」
  「ええ」
  「何て人なんだ。もしかしたら知っているかもしれん」
  「そうですか、名前は留守さん、という人なんですけど」
  「お、おお、あの留守さんか!」
  「え?ご存知なんですか」
  「いやいや、そりゃーもう7階では有名じゃよ、というより、この病院で
  有名かも知れんな」
  「は、はあ…」( 留守さん、一体どうしてしまったのだろうか、
  もしや、認知症が現れて大変なことに…)
  「まあ、行けば分かるさ」
  「は、はい…」

   チーン。
   チーン。
「ここじゃな、まあ、会えるかどうか分からんが、私はあっちなので、
   ここで失礼しよう。色々と有難う、ええと名前は…」
  「平です」
  「ああ、平さんだったね、それじゃ」
  「はい。ええと、ナースステーションはこっちだな、あ、すみません」
  「はい」
  「留守さんの面会に来たのですが、病室は何処ですか」
  「あ…はあ、ええと、病室は701なのですが…、お会いになりますか」
  「え…ええ、面会に来たんですから」
  「そうですか…ええと…どうしても会いますか」
  「え…ええ、あのう…留守さん、具合はそんなに悪いんでしょうか」
  「あ、いえいえ、そうではないんですが、そうですか、
  では…これをお願いします」

  「ん?…何ですか、この紙は…45て書いてありますけど…え?」
  「整理券です」
  「へ?」
  「ですから、整理券になります。今がそうですね…ええと、26番目の方が
   入られていますから、あと、19番目くらいになりますね」
  「そんなに!」
  「ええ…ですから、ご面会されますか、と尋ねた訳です。もしあれでしたら
   明日になさいますか…まあそれでも…5番目になりますけど」
  「は、はあ…、そ、そんなに来てるんですか…」
  「そうですね、こう言ったらあれですけど、私どもも困ってるんです、昨日
   までは、この廊下の端から端まで背広の人たちが並んでいましたからね、
   で、院長がこれではらちがあかないので、で、整理券方式に変えたんです」
  「はあ…」
  「お待ちになりますか」
  「え…ええ、ここまで来たのですから、お会いしたいですからね」
  「皆さん、そう言います。では、45番目です、どうぞ」
  「は、はい…」
  「―――あ!平さんじゃないですか?平さん!」
  「え、あ、ああ森さん!」
  
  「はい!お世話になっております。《すこやか福祉用具》の森 新太郎です!

   留守さんのご面会ですか、で、平さん、何番目になりました?」
  「え、ああ、ええと、今さっき来たので、45番目です」
  「そうですか…」
  「森さんは?」
  「私は30番目です」
  「へー、じゃあ、あと少しですね、今26番目らしいですから」
  「ええ」
  「いや、まさか、こんなに並ぶとは思いませんでした…面会に来ただけなのに」

  「そうですね…あ、もし良かったら、私のと交換しますよ、どうぞ」
  「あ、いやいや、悪いですよ、私のはいつになるか分かりませんから」
  「いえいえ、いいんです。かえって私は助かります」
  「というと?」
  「ええ、ここにこうして待っていますと、次々と大物の方が来るんですよ、これが。
   いやーびっくりしてます。すきあらば名刺交換できるか狙ってますので」
  「そうなんですか…」
  「ええ、信じられない人が来てます、さっきまでは、社会福祉で有名な大学の先生
   が来ていましたし、テレビでよくみかける人も来ていました」
  「へー、そうなんですか。留守さんは顔が広いんですねー、知らなかった」
  「昨日は、背広軍団がずらっと並んでいましたよ」
  「ああ、さっき看護婦さんが言ってましたよ、昨日も来たんですか」
  「ええ、でもさすがに昨日は途中でやめました。でも、これだけの人たちに会える
   ので、何だかワクワクします。かえって、遅いほうが色んな人に会えるのでいい
   んです」
  「そうですか、では、お言葉に甘えて」
  「いや、こちらこそ、有難うございます。さーて、次はどんな人が701号室から
   出てくるんだろう、いやー嬉しいなー、あ、いやいや不謹慎ですね、失礼しました」
  「ははは…あ、あの人…この間のケアマネの研修で講師した人だ」
  「でしょ!凄い人が来てるでしょ!」
  「ええ、あ、あの人、社会福祉の権威の人だ、たしか、ルーテル大学の…」
  「そうそう、で、あの人が、某居酒屋で有名な人ですよ、最近は福祉に力を入れてま
   すからねー」
  「なーるほど、あ!あの人は!」
  「そうそう!あ、平さん、あの人誰でしたっけ」
  「森さん!あの人はあれですよ、ええとたしか………」