介護小説 衣裏の宝珠たち 記事一覧

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等は
 全て架空のものであります。

となりの芝が青く見える・・・
  近くを捨てて遠くに求める・・

作:なおとっち

第11話 米田さんとポチということ。

  「ところでカズコさんや、お昼はまだかいのー」
  「え?い、いやだわ、お母さん、お昼はさっき食べたばかりじゃないですか」
  「ほう、そうだったかい?」
  「そうですよ」
  「ふーん、では、ポチと散歩でも行くとするか」
  「お母さん、気をつけて行ってきてくださいね」
  「うん、じゃあ行ってくるよ、ほれ、ポチ、散歩に行くよ」
   ワンワン(まだお昼食べているから、後にして)
  「ほー、ポチ、そんなに嬉しいか、お婆ちゃんと行こうな」
   ワンワン(だから食べてるから後にして。それと、ママとのほうが…うわ!)
  「そうら、行くぞー」
   キャンキャン(やだやだ)
  「では、行ってくるね、カズコさん」
  「はーい、行ってらっしゃい。ポチも行ってらっしゃい」
   ワンワン(やだやだ、ママのほうがいい)
   ガラガラ。
  「ふー、今日はいい天気じゃのー。今日はどっちまわりで行くかな」

   ワンワン(仕方ない、あきらめた)
  「そっか、そっか、嬉しいか、なーポチ。―――あ、こんにちは、武石さん」
  「あ、いらっしゃい、米田さん、いつも元気だねー。今日は散歩かい」
  「ええ」
  「あ、そうだ、この間頼まれた、ノラボウ、入荷したよ」
  「ほー、ノラボウですか、いいねー。お浸しには最高ですねー」
  「そうそう、で、今日買いますか、とっておいとくけど」
  「じゃあ後でまた来ますわ」
  「オーケー。待ってますよ」
  「お願いしますね。―――こんにちは、久下さん」
  「いらっしゃい、米田さん。あ、そうそう、昨日言っていたチューリップの
   球根入りましたよ」
  「ほー、チューリップですか、好きなのよねー」
  「どうしますか、とっておきますか」
  「じゃあ後でまた来ますわ」
  「分かりました、じゃまた後で」
  「お願いしますね。―――ふう、ただいま」
   ガラガラ。
  「あ、お帰りなさい、お母さん、早かったのね。ポチもお帰り」
  「ふう、今日はよく歩いたねー、ねーポチ」
   ワンワン(そんなでもないですけど)
  「そっかそっか、ポチも疲れたか。さ、カズコさん、お昼にしますか」
  「え?お母さん、だからさっき食べましたよ」
  「そうだったっけ」
  「ええ」
  「そっか。ポチ、お前も食べたか」
   ワンワン(さっき食べてる途中に散歩に行かされました)
  「そっかー、ポチも食べたんか。じゃあ、散歩でも行くとするか」
  「また行くんですか、お母さん」
  「うん、じゃあ行ってくるよ、ほれ、ポチ、散歩に行くよ」
   ワンワン(またですか!)
  「ほー、ポチ、そんなに嬉しいか、じゃあ行ってくるね、カズコさん」
  「はあ、お母さん、行ってらっしゃい」
   ガラガラ。
  「ふー、今日はいい天気じゃのー。今日はどっちまわりで行くかな。―――あ、
   武石さん、こんにちは」
  「いらっしゃい、米田さん。もう、持ってきたんですか」
   ワンワン(持ってきてないですよ)
  「何を?」
  「いや、ノラボウ買うんでしょ」
   ワンワン(いや、買わないと思います)
  「ノラボウ?いいねーお浸しには最高ですねー」
  「入荷しましたよ」

  「そう?じゃあ後でまた来ますわ」
   ワンワン(多分、また持って来ないと思います)
  「あ、そうですか、では、待ってますね」 
  「お願いしますね。―――こんにちは、久下さん」
  「いらっしゃい、あ、早いねー、米田さん。とってありますから」
  「なにを?」
  「あはは、いやだなーさっき言っていた球根ですよ」
「球根?ほー好きなんだよねー」
  「買いますか?」
   ワンワン(いや、買わないと思います)
  「じゃあ後でまた来ますわ」
  「わ、分かりました。じゃ、また、お待ちしてます」
   ワンワン(うーん、難しいと思います)
  「お願いしますね。―――ふう、ただいま」
   ガラガラ。
  「ん?カズコさん?―――ん?メモ?」
   ≪お母さん、お帰りなさい。用事で少しの間出かけてます。夕方には戻りますので。
    お腹すいたら、テーブルの上にパンがありますので食べてください。
    追伸 ポチもまだ食べ終わってないので、ご飯あげてください  和子 ≫
  「ほー、カズコさん、出かけたんだ。―――ん?ポチ、お前まだ食べてないのか」
   ワンワン(だから途中で散歩に行かされたんですよ)
  「そっかそっか、腹減ったか。食いしん坊だなーははは。―――ん?」
   ワン(え?も、もしや…)
  「ん?ん?」
   ワンワンワン(だめだめだめ、ま、また、散歩ですか…)

  「ん?」
   ワンワンワン(だめだめ、散歩いや!)
  「ノラボウだ!」
   ワン(え?)
  「そうそう、武石さんところに行かなきゃ。ん?チューリップもだ!」
   ワンワン!(お婆ちゃん!お、思いだしたんだね!お婆ちゃん!ああ、良かった)
  「久下さんもだ、ああ、お金持っていかなくちゃ」
   ワンワンワン!(そうだよ、そうそう。思い出してくれたんだねー、良かったー。
   一時はもうダメかと思ったよー。良かった良かった)
  「そうそうそう。じゃあ行ってくるか、なーポチ」
   ワン(え?)
  「支払いせんとな。行くよ、ポチ」
   ワンワンワン(ええ、ま、また行くの?ご、ご飯が…)
  「そうかそうか、お前も嬉しいか。じゃあ行くよ、ポチ」

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 全て架空のものであります。

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作:なおとっち

第10話 留守家の人々ということ

   ガチャ
  「ただいま」

  「お帰りなさいませ、旦那さま。奥様、旦那さまがお帰りなさいました」
  「あなたお帰りなさい。今日は早かったのね」
  「ああ、珍しくね。たまにはこういう日がないとな」
  「そうね」
  「お母さん、今戻りました」
   お帰り。いつもいつもご苦労さま。
  「今日はデイの日だったんですか」
   今日は水曜日だから違います。
  「旦那さま、今日は水曜日ですので大奥様は行ってらっしゃいません」
  「ああ、そうか、はは、近頃曜日の感覚がなくなったよ」
  「まあ、旦那さまがですか、アハハハ。―――お茶、どうぞ」
  「ああ、ありがとう。いや、クミちゃんね、こう毎日忙しいと自然にそうなってくる
   もんだよ、あははは」
  「デイサービスといえばね、あなた」
  「ん、どうした?」
  「ええ、先週お母さんがデイサービスに行ったときにね、これを貰ってきたの」
  「ん?手紙か」

   ああ、それね。
  「手紙といいましょうか、とにかく読んでみて」
  「うん、えぇと、なになに。前略、愛しい、留守シゲ様へ。ん?なんだこりゃ?」
  「いいから先を読んでくださいな」
   私は読まれたくないんですけど。
  「ああ、分かった。えぇと、先だっての私の歌は如何だったでしょうか、あの歌は
   シゲさんの愛くるしい瞳、長くて綺麗な黒髪、すらっとした鼻、一瞬で私の心を
   迷わす、その唇―――な、なんなんだ、これ?」
  「でしょ?」
  「こ、これ、ラブレターか」
  「ええ」
  「ほー!す、すごい」
  「あら、すごいって、あなた、そう暢気なこと言わないでください」
  「でもなー、あははは、お母さん、やるじゃないですか」
   私は別に…。
  「それだけならいいですよ。でもお母さんに聞いてみたら、毎週なんですって。
   それとクミちゃんがね、最近お母さん宛ての手紙が届いているって言うの」
  「ええ?本当か、それ?」
  「そうよ、ほぼ毎日送られてくるから。それも合わせると50通はいくわね」
  「50通!何で住所が分るんだ」
  「デイサービスの時にお母さんがその方に住所を教えてしまったのよ」
   まさかこんなことになるとは思っていませんから。
  「そうか、で、その方って、どういう人なんだ」
  「この間、高村主任さんに聞いたのね、そしたら、土曜日に来る人らしいのよ」
   そうです。
  「名前は、えぇと、あ、これか、長宗我部 公親、ちょうそかべ きみちか て言う
   のかな、ね、お母さん」
   はい。
  「ふーん、まぁでも、いいんじゃないか、高齢者の恋愛の話しはよく聞くからな」
  「旦那さまのお勤めのところでも、そういう話し、話題になることあるんですか」
  「珍しくはないよ、審議会の雑談で、たまに出るから」
  「へー、お役人の方でもそんな話しするんですか、ちょっと意外です」
  「あるよ、役人でも世間の話題についていかないといけないからな」
  「あなた。あなたは厚生労働省のトップなんですよ、そんなのでいいんですか」
  「そうですね、旦那さまは、事務次官さんですものね」
  「それを言われると弱いがな、あはは」
  「もうあなたったら。私だってこれだけなら、仕方ないかなとも思いますけど、でも
   ね、これは…お母さん、話すわね」
   どうぞ。
  「どうした?」
  「さっき、高村さんに聞いたって言ったじゃない。その時に別の話も聞いたのよ、そ 
   の人、長宗我部さん、その人からね、お母さん、プロポーズされたの」
  「な、なんだってー!!」
  「びっくりでしょ?」
  「あ、あ、あははは、ま、まさか…。冗談だろう、ね、お母さん、ね」
 私に聞かれても。
  「そうなのよ、だから、そんな暢気なこと言ってられないのよ」
  「いやーでも、本気ではないでしょ、さすがに、ね、お母さん」
   だから私に聞かれても。
  「でも、旦那さま、本気だからこそ、この50通のラブレターじゃないんですか」
  「うーん…」
  「ね、そうなるでしょ」
  「そうなったら、その、ちょうそか…べ、さん、が旦那さまのお父さんになるってことですよね」
  「向こうも直系だったら、どうするの、何でも四国の家柄らしいわよ。それに、名字
   はどうするのよ、その人が婿に入るわけではないし、そしたら、私たちの名前は、
   ちょうそかべ てなるのよ」
  「あははは、そうだな、そうなると、チョーさんって呼ばれそうだな、あははは」
   実際に、その人、チョーさんて呼ばれてます。
  「電話とるときも今までは『はい、ルスですが』て言っていたのが、今度は、『はい、
   チョウソカベですが』てなりますね、何だか舌かみそう」
  「そうよ、クミちゃん。今まで2文字だったのが、何でよりによって、6文字なのよ」
  「それに奥様、大変ですよ、免許証や保険証も変更しないといけませんから」
  「まあ!そうだったわ!あら、大変!どうするのよ、表札だって彫ってあるし」
   いや、何でそこまで話が膨らむんですか。
  「奥様、結婚式は神社ですか、教会ですか、それとも…」
  「そもそも向こうの宗派は何かしら、それに四国でやるでしょうから…」
  「そしたら奥様、鳴門海峡をご見学して行ったらどうですか」
  「そうね、どうせ四国に行くなら、それは外せないもんね、そしたら讃岐うどんもね」
  「そうですよ、奥様。やっぱり本場の讃岐うどんは外せないです」
  「それに、四国といえば坂本龍馬ね、福山雅治でしょ、彼が居たりして!」
  「きゃー奥様、どうしましょう!」

  「かっこいいわねー彼って。そしたら彼と一緒に神社仏閣を廻りたいわ!」
  「歴女ですものね、奥様は」
   もうあなたたちからは完全に長宗我部さんは消えましたね。
  「お風呂行ってくるよ、明日も早いんで」
  「あなた行ってらっしゃい。―――それと、瀬戸内海もいいわねー、淡路花博も寄っ
   てみたいわねー、それと…」
  「旦那さま、追い焚きしなくても大丈夫です、さきほど沸かしたばかりですので。で、
奥様、淡路と言ったらあれですよね、えーと……」

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作:なおとっち

第9話 森さんの再度おすすめ福祉用具ということ

   ピンポーン。
  「こんにちは!《すこやか福祉用具》の森 新太郎です!」
  「お待ちしてましたわ。平さんはもういらっしゃってますよ」
  「奥様、ご無沙汰してます。いやー、あいかわらず広いお宅ですねー、失礼しまーす」

  「森さん、こんにちは。今日は新商品を持ってきてくれたんですよね」
  「平さん、お世話さまです。はい!今日は自信作です。あ、留守さん、こんにちは!
   是非期待しててくださいね」
   こんにちは。今回は期待していいんですね。
  「あれ、留守さん、そんな心配そうなお顔をされるなんて心外だなー、あはははは」
   だって前回は車椅子が火を噴いたんですよ。
  「あ、今回は大丈夫です。前回のようなことはないですから。でも、前回は前回で、
   僕は好きだったんですけどねー」
   私はイヤでした。
  「ところで、森さん、今日は何をお持ちになったんですか?」
  「はい!今日は、最新型の車椅子と、あと、これが凄いんです、ふふふふ。日本初の
   介護型ロボットです。あ、もちろん、これは介護保険外ですけどね」
  「へー」
   また何やら不吉な予感が…。
  「では、まず、これです!『モビルアーマー車椅子2010』です!」

  「お!また今回も、えらいごっつい車椅子ですねー」
  「ええ、多少重厚感ありますね」
  「森さん、この背中にある、ランドセルみたいなものは何ですか?」
  「はい、奥様。これは…ふふふふ、これはのちのちのお楽しみということで。では、
   早速、留守さん、乗ってみてください」
   はいはい。
  「では、留守さん、右肘に十字になっている、ボタンがありますね、まずは左を押し
   てみてください」
   またボタン式なんだ。分かりました、はい。ポチッ。
   ウ、ウイーン!ガチャガチャガチャ。ニョキーン!
   おわ!
  「あ!足が出た!」

  「た、平さん、あ、あれ、足ですよね。車椅子から、あ、足が出てます…」
  「え、ええ、奥さん」
  「それでは、次に十字ボタンの右を押してください」
   は、はい…。ポチッ。
   ウ、ウイーン!ガチャガチャガチャ。ニョキーン!
   お、おわ!
  「ま、また足が出た!」
  「ふふふふ、これが今回の自信作ですよ!なんと、車椅子から両足が出ちゃいます!」
  「ほー!」
  「み、見上げるようですわ、あまりにも高くて。お、お母さん、大丈夫?」
   大丈夫ではないです!
  「そうですか、いやー嬉しそうですねー、留守さん。気に入っていただけましたか」
   いやいや。
  「平さん、も、もはや、これ、ロボットですね…」
  「え、ええ…」
  「留守さん、今度は十字の前のボタンを押してみてください」
   お、押すと…また…噴射じゃ…。
  「あははは、噴射はしないですから、大丈夫です」
   で、では…。
   ポチッ。
   ギュルギュルギュル!
   ん!
   ガシャンガシャンガシャン!ガシャンガシャンガシャン!
   おわ!
  「は、走った!」
  「きゃー!お、お母さんが!」
   あわわわわわわ!
  「ふふふふ、ここが前回と違うところですね。車椅子の車輪がまわるのではなく、
   車椅子じたいが、走っちゃうんです!」
   あわわわわわわ!
  「今回のは、ガンダムからヒントを得ました。かっこいいっすねー」
  「と、とめてください、お、お母さんが…」
  「そうですか、残念ですねー。では、留守さん、十字の下のボタンを」
   は、はい…。ポチッ。
 ギュルン、ピタッ。
   と、止まった!
  「も、森さん…ち、ちなみに、そのランドセルってのは、もしかして、また…」
  「あ、これですか、はい!ジェット噴射です!10メートルはジャンプします!」
   やっぱり!
  「ゴ、ゴホン…、ええ、森さん、それはも、もういいですので、で、介護型ロボット
   は…どこに…」
  「あ、はい、そうですか。では、改めて、介護型ロボット、名付けて『ゲッターロボすこやかスペシャル』です!では皆さん、リビングの窓から庭をご覧ください!」
  「え?」
   え?

  「あ!も、もしやあれですか、奥さん…」
  「え?平さん、どこです?」
  「あの、庭に…立っている、あ、あのロボットが、そうじゃないですかね…」
  「ええ!あ、あれなのー!」
   おわ!
  「ふふふふ、全長3メートルあります!いやー苦労しましたよ、引っ越しの車で運ぶ
   しかありませんでした。どうですか、留守さんの家だからこそ、実現できましたね!」
  「で、でかすぎる…」
  「あ、あれじゃ、家に入りませんよ」
  「ええ!奥様、入りませんか、うそでしょ!」
  「入りませんよ、大きすぎます」
  「そんなー!食事、入浴、排泄、移動、移乗、調理から掃除まで、全てにおいて介助
   できてしまうんですよ。1万のシュミレーションがプログラミングされてるんです」
   や、やっぱりアホだ、この人…。
  「さすがにでかすぎますよ、森さん。それに、あの大きさで、どうやって介助するん
   ですか。人がつぶれます」
  「そっかー、ダメかー。家に入らないんだ、そっかー」
   いや、だからそこじゃないでしょ。
  「では奥様、こうなったら、番犬にどうですか。留守さんの広いお庭にピッタリ!
   いかかでしょう?」
  「それはちょっと…」
  「あ、ボタンを押すとパンチも飛び出しますよ!防犯には最適です!」
   あなた、一度あのロボットのパンチをうけなさい。

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作:なおとっち

第8話 長宗我部さんに春が来たということ

   ―― ある日、帰りの送迎を待つ時間のこと ――
  「あ、あのう…、留守さん」
   はい?
  「あ、実は、わ、私の趣味は、う、歌を詠むことでして」
   え?
  「そ、そのう、私は、留守さんに、自分の歌を、そのう、プレゼントしたいと…」
  「え?長宗我部さん、歌を歌うのが趣味なんですか?カラオケによく行くんですか?」
  「あ、いやいや、中村さん、違います。カラオケではなく…そのう…短歌ですよ」
  「へー、ゴーシチゴー、のあれですか?へーそうなんだ」
   それは俳句です。
  「ははは、それは…、あ、まあいいですが…そんなもんです」
  「どういう歌が好きなんですか」
  「やはり、藤原定家の歌ですね」
  「誰それ?」
「平安から鎌倉時代にかけて活躍したお人です」
  「ふーん、私は、やはりユーミンですね。あ、室井さんは?」
  「なに?」
  「歌は誰が好きですか、て?長宗我部さんが聞きたい、て」
   いや、言ってないでしょ。
  「なにを!おう!チョーさん、俺の好みを聞いてどうするんじゃ!」
  「いや、あのう、私は、別に、室井さんのは…、別に…」
  「あ!なんだ!俺の好みには興味なし、てか?あ?」
   また面倒くさくなってきたよ。中村さん、そっちに振っちゃだめでしょ。
  「あ、いや、私は…別に…」
  「あい変わらず、煮え切らんのう。俺の好みは、ずばり!美空ひばりじゃ!」
   お?
  「はあ?」
  「ん?なんじゃ、チョーさん、その、意外そうな顔は?おう、俺がひばりじゃ
   あわないって、そう言いたいのか、おう」
  「いたたた、私は何も…」
   またヘッドロックする。
  「あ、ダメよー、室井さん、ヘッドロックしちゃ。へー、美空ひばりなんだー」
  「おうそうよ。ありゃーいいよ、好きだねー。吹けば飛ぶような将棋の駒に、
   賭けた命を笑わば笑え、くー、いい文句だねー!」
   そりゃ、《王将》でしょ、村田英夫。
  「私は…恋の歌が好きなんです…例えば…」
  「ユーミンもいいわよー。あと、サザンも好きよねー、『ふぞろいの林檎たち』
   いいドラマだったわー」
  「ふぞろいだー?リンゴがふぞろいじゃ、八百屋に文句言えー」
  「あははは、違うのよ、室井さん、ドラマの題名の話よ」
  「おう、そうか。いやー俺はリンゴより、バナナのほうが貴重だねー、戦時中は
   喰えなかったからなー」
  「例えば…こんな歌が、留守さん…」
   ん?
  「そっかー、今は普通だもんねー、室井さんの時代はそうだったのねー」
  「おう、そうよ。シベリアはきつかったぞー、本土に戻れた時、どんだけ良かったか!」
  「へー」
  「白妙(しろたえ)の袖の別れに露おちて…」
   「なー、チョーさん、ん?なんだ、呪文かそれ?」
     また入ってくる!
  「え?ははは…違います…、藤原…」
  「お?なんだー、その乾いた笑いは!このー!」
  「いたたた…、いや、別に私は…」
  「室井さん、ダメです。で、長宗我部さんは、その藤原って人が好きなんだ」
  「ええ、まあ…」
  「ふん、藤原だか、何だか知らんがね、俺はなー、こういうのが好きだねー。
   《願わくば、我に七難八苦を与えよ!》山中鹿之助じゃ!」
それは武将でしょ。
  「昔はなー、日本国民、みんな山中鹿之助だったんじゃよ、祖国のため!」
  「ふーん」
  「…身にしむ色の秋風ぞ吹く…」
   いい歌ですね。
  「そうよ!ところが、今の若いもんはどうじゃ!そんなの一人もおらん!」
  「留守さん…、これは、《新古今和歌集》でして…」
  そうですね。
  「どういう意味なんですか?その俳句は?」
  「え?ああ、聞いてらしたんですか…中村さん」
   凄い耳してますね、あなた。一方で歌聞いて、一方でコロコロ変わる話聞いて。
  「ええ」
  「ああ、これは…、その…、後朝(きぬぎぬ)を歌った…歌でして…」
  「何です、それ?」
  「いや…その…つまり…愛し合った…男女の…」
  「ええ?なになに!」
   喰いつきますね、そこだけは。
  「おう!そうは思わんかい!なー、チョーさん!」
  「はあ?」
  「おお!俺の話しを聞いてなかったんか?おお、チョーさん!」
  「いたたた、私は…いたたた…」
  「ん?どうじゃ、チョーさん、どうじゃ」
  「いたたた…わ、私は、ただ…いたたた」
  「ん?なんだ?何が言いたいんじゃ、お?」
  「いたたた、私は、私は、」
  「お?」

   !!!
  「!!!」
  「!!!」
 
   !!!
  「あ、あははは、ど、どうしたんですか急に大きな声で…長宗我部さん…」
  「お、おまえ、何かえらいもん喰ったんじゃないか?熱でもあるんじゃないか?」
  「ハア…ハア…ハア…」
  「春が来たんじゃ」
   ん?米田さん?
  「あ、米田さん、どうしたの?え?なに」
  「中村さん、春さ、春が来たんじゃよ、ふふふふ、のう、長宗我部さんや」
  「ハア…ハア…ハア…」

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作:なおとっち

第7話 流動食(ペースト状)ということ

  「お!もうこんな時間か、飯だ、めしの時間だ」
  「はーい、皆さん、お食事 の時間にしましょう。中村さん、配膳お願いね」
  「はーい」
  「今日は何じゃ」
  「本日のメニューは、とりのから揚げとほうれん草のお浸し、きんぴらごぼう、
   そしてフルーツは、オレンジです」
  「おお、まあまあだな」
  「はい、室井さん、どうぞ」
  「うむ、ではいただくとするか」
  「はい、留守さん、どうぞ…あれ?あ、そうか、留守さんはペーストね」
  「あ、そうなのよ、中村さん。留守さんは義歯調整中だから、今日は別メニューなの」
  「そうでしたね、主任。ごめんね、留守さん、今日はこちらになります」
   ふーん。
  「それでは皆さん、いただきまーす!」
  「お、なかなかいけるぞ、このからあげは」
  「良かったわ、室井さんのお口にあって」
   うーん…
  「あ、あれ、留守さん、どうかしましたか」
   うーん…、この緑色はなんですかね。

  「あ、あぁ、それ?それはね、きっと、ほうれん草ね」
   ほうれん草ですか。ペロッ
  「どう?ほうれん草でしょ?」
   たしかに。でも、醤油も何にもついていないんじゃないの。
  「ん?」
   いや、たしかにほうれん草だけど、何にも味がしないよ。
  「あ!醤油入れるの忘れちゃった!あはははは」
   でしょ?
  
  「ご、ごめんね、留守さん。はい、どうぞ」
   ペロッ。うん、これなら味がしますね。
  「あぁ、良かったわ。どうぞ召し上がれ」
   ところで、この茶色は何ですか?

  「え?留守さん、なに?」
   ん?だから、この茶色は何かと…
  「あ、これ?あぁ、これはねー」
   何ですか。
  「これは…」
   えぇ。
  「何かしら?」
   いやいや、こっちが訊いてるんです!
  「これは…。うーん、ちょっと匂い嗅いでみて?」
   クンクン。うーん、何でしょう?
  「分からない?」
   えぇ。
  「じゃ私が。」
   クンクン。
   分かりますか?
  「何これ?」
   でしょ?
  「うーん、じゃー取りあえず、食べてみて、留守さん。そしたら分るから」
   何ですかそれは。
  「ね?」
   分かりました、食べてみます。
   ペロッ。
  「どう?」
   から揚げです。から揚げですね、これ。
  「ん?なに?」
   食べてみますか?
  「じゃー、ちょっとだけ」
   ペロッ。
  「から揚げだ!」
   そうです。
  「あははは、そうか。私はてっきり、がんもどき、かと思っちゃった!」
   ハズレです。
  「な、なーんだ、ペーストだから別メニューて主任さんが言うからさー、
 変わってないんじゃない、ねー留守さん。じゃ、これは、きんぴらごぼうね」
   この、うす茶色ですか?

  「そうそう。赤っぽいのもあるし、それはニンジンよね」
   でしょうね。
  「食べてみて」
   ペロッ。
  「どう?」
   うーん、言われてみれば、て感じですね。
  「おいしくない?」
   言われれば、おいしいですが…。分からないと、不気味です。
  「じゃー、これは、分かるわね。これはフルーツですもの」

   オレンジですね。これは分かります。
  「お!留守さん!食欲ないんかい」
   うるさいのが来たな。
  「室井さん、留守さんはね、今、入れ歯調整中なの。だから、固形物はダメなのよ」
  「ほー。―――で、この緑色は何じゃ?」
  「何だと思います?室井さん」
  「うーん、この色具合、そして、この匂い!」
  「えぇ」
  「ずばり、うぐいす豆!」
  「ブブー、残念でした。正解は、ほうれん草です」
  「おお、そっかー」
  「じゃーじゃー、これは何だと思います?」
  「ん?この、茶色か?」
  「えぇ」
  「うーん、まてまて。この色、そしてこの匂い…」
  「何です?」
  「ずばり、がんもどき!」
  「きゃー!私もそう思っちゃったのよねー、ね、そうでしょ、勘違いするでしょ?」
  「おお、そっかー。室井源次郎、一生の不覚じゃ!」
  「じゃーじゃー、室井さん、このうす茶色は、何だと思いますか?」
  「よっーし!今度こそ、当てるぞ!」
  「なになに?」
   こ、こいつら、人の食事で遊んでおる…