介護小説 衣裏の宝珠たち 記事一覧

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等
 は全て架空のものであります。

となりの芝が青く見える・・・
  近くを捨てて遠くに求める・・

作:なおとっち

第16話 シゲさんの入院ということ ①

   《 医療総合センター 》

  「あ、すみません、面会に来たのですが」
  「それでは、こちらに記入をお願いします」
  「はい、ええと」( 入院者名:留守シゲ、面会者:平 清志、病室:……… )
  「あのう、病室が分からないのですが…」
  「そうですか、ええと、あ、留守様のご面会ですか」
  「ええ」
  「そうですか、ええと、うーん…」
  「なんですか」
  「いやー、ちょっと難しいんじゃないですかねー」
  「え?も、もしかして、面会謝絶なんですか」(そんなに具合が悪いんだ)
  「あ、いえいえ、そうではないんですが」
  「はあ…」
  「あ、いや、余計なことをいいました。はい、7階になりますので、そちらのナース
   ステーションで、病室を聞いてください」
  「分かりました」(なんだろう?)
  「エレベーターは、あちらにありますから」
  「はい、どうも有難うございます」
  (ああ、ここだ)
   チーン。
  「あ、あ、待ってくだされ」
  「ん?」
   ヨロヨロヨロ。
  「あ、足が弱くて、あ、あ」
  「あ、大丈夫ですよ。待ってます」
   ヨロヨロヨロ。
  「す、すまないのう、ほっ…着いたわい」
  「何階ですか」
  「ご、5階で…」
  「分かりました」

   チーン。
  「い、いやあ、ここは広くて困るのう」
  「そうですね」
    チーン。
  「あ、着きましたよ」
  「は?」
  「5階です」
  「お宅は?」
  「僕は7階で降りますが」
  「そうか、では降りんと」
   ヨロヨロヨロ。ヨタッ。
  「あ、大丈夫ですか」
  「お、おう危ない。はあ、しんどい」
  「あ、じゃあ、病室まで行きますよ」
  「そうかい、ああ、助かる。すまんのう」
  「いえいえ、で、何号室ですか」
  「ええと…ん?ん?」
  「どうしました」
  「うーん、あれ?違ったかな…たしか、ここだったかと」
  「間違えました?5階ではないんですか」
  「うーん、うーん」
  「看護婦さんに聞いてみますね。あ、すみません、この方の病室はどこですか?」

  「はい?ええと、お名前は」
  「武田源治じゃが」
  「武田さんですね。ええと、こちらの病棟ではないですね。何階か分からないですか?
   そうですか、では調べますので少々お待ちください。―――
   お待たせしました。武田さん、7階になりますね。この2つ上の階になります」
  「分かりました、有難うございます。7階だそうです」(僕が行く所の階の人なんだ)
  「ほう、そうだったかい」
  「あ、待って、武田さん。何でも採血がまだなので1階に行って採血して下さい、て」
  「採血?ふーん、ああ、そういえば何かさっき、そんなことを言っておったな。そっか、
   ふー、しんどい。また1階に戻らんと」
  ヨロヨロヨロ。

  「ご家族の方ですか、ご家族の方もご一緒に、どうぞ」
  「え?いや、家族ではないんですが…」
   ヨロヨロヨロ。ヨタッ。
  「あ、危ない!あ、で、では、私も行きますよ。ついていきます」
  「ん?そうかい、すまんのう。見ず知らずの人に」
  「いえ、いいんです。では、1階に行きましょう」
  チーン。チーン。
  「ええと、あ、ここですね。【 採血室 】て書いてありますよ」

  ガチャ。
  「そっかそっか、いやー助かったよ。すまんのう。おお、看護婦さん、今来たぞ」
  「あ!武田さん!んもう、来るの遅いですよ。もう回診の時間ですから、
   病室に行っててくださいね。採血はまた明日にしましょう、ね」
  「え?血はとらんのか?」
  「そうですよ、先生の回診が始まってますから、このまま病室へ行っていてください。
   頼みましたよ。ご家族の方も、お願いしますね」
  ガチャ。
  「お!」
  「………」
  「ま、また戻らないと、行けなくなったわい…」
  「そ、そうですね…。では、戻りましょう、7階でしたね」
  「ふー、ああ、もう歩けんぞ…」
  ヨロヨロヨロ。
  「あ、大丈夫ですか、今、車椅子持ってきますから、ここで待っていてください」
  「ああ、もうダメじゃ…」
  ヨタヨタヨタ。ヨタヨタヨタ。
  バタッ!
  「あ!だ、大丈夫ですか!」
  ガチャ。
  「なに、今の大きな音は…あ!武田さん!あら、大変だわ!どうしましょう!
   と、とりあえず、こちらのベッドへ寝かせましょう」
  「わ、わかりました、手伝います」
  「しっかり!武田さん!分かる、聞こえる?返事して!一体どうしたんですか?」
  「い、いや、よろけてしまって。多分歩き疲れだと思うんですけど…」
  「ご家族の方、ちょっと、いてもらっていいですか。今先生を呼んできますから」
  「あ、いや、あのう、そのう…」

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等
 は全て架空のものであります。

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作:なおとっち

第15話 ケアマネージャーの仕事ということ

   ガチャ。
  「おはよう」
  「おはようございます。あれ、平さん、焼けてますね」
  「あははは、久しぶりの連休だったからね、女房と子供で由比ガ浜に行ってきたよ」
  「そうでしたか」
  「やっぱ湘南はいいねー、はい、おみやげ」

  「有難うございます。あ、江の島水族館ですか」
  「そうそう」
  「ところで平さん、早速なんですけど…」
  プルルルルル・・・・
  「はい、支援センターです。はい、ええ、ああ、そうですか。今おりますので、少々
  お待ちください。―――平さん、小暮さん、という方からですが。利用者さんに
  いましたっけ?」
  「小暮さん?ああ、先週介護保険の問い合わせがあった人だ」
  「新規ですか?」
  「新規というか、電話相談のみだったけどね。分かりました、かわりましょう。
   ―――もしもし、お電話かわりました、平ですが」
  ≪ああ、たいらさん、あのねー、もうあしこしがよわってるから、へるぱーさんを
  たのみたいんだがねー、あしたからおねがいしますよ≫
  「あ、いやいや、小暮さん、この間も申し上げましたけど、認定は受けておりますか?」
  ≪ああそれね、うけてました、このあいだ、たんすのひきだしからでてきました≫
  「ああそうでしたか、で、認定はいくつでしたか?」
  ≪ろっきゅうです≫
  「へ?」
  ≪だから、ろっきゅうでしたよ、わたしもしらないうちにうけてたんだねー≫
  「あのー、小暮さん?」
  ≪じやあ、たのみましたよ、たいらさん≫
  ガチャン。ツッーツッーツッー。
  「え?もしもし、小暮さん、もしもし」
  「どうしたんですか?」
  「どうもこうも、一方的に言って切っちゃったよ、まだ住所も電話番号も聞いて
   ないし」
  「あら、認定は受けてるんですか、何か6級って言ってませんでした?」
  「うん、おそらく、障害手帳か何かと勘違いしてるね、あれは」

  プルルルルル。
  「はい、支援センターです。あ、お世話になっております。少々お待ちくださいませ。
   平さん、八雲さんからです」
  「はー、また何かあったね…。―――お電話かわりました、平です。
  いつもお世話さまです。どうされましたか」
  ≪あ、平さん、あのね、今度の担当の方、つっけんどでね、かえてほしいんですよ≫
  「ああ、その件ですけど、この間もお話ししましたけど、
  私どもではどうしようもないんですよ・・・
  それは地域包括支援センターに言っていただかないと」

  ≪なんで、かわってしまったんですか、平さん、本当のことを言ってください≫
  「いえいえ、ですから、八雲さんは予防給付の対象になったんですよ、
  認定は要支援2になってますでしょ。そうなると私どもの担当ではないんですよ」
  ≪そうなんですか、でもおかしいじゃないですか、私はもともと、1だったんですよ。
   数字が増えれば、それだけ体が悪いってことでしょ、
  そうなれば平さんの担当でしょ。
  平さん、本当は私のこと嫌いなんでしょ、厄介者と思ってるんでしょ≫
  「違いますよ、1って言っても、それは要介護1でしょ。そうなると…」
  ≪わかりました!≫
   ガチャン。ツッーツッーツッー。
  「あ!……もう」
  「出社そうそう、大変ですね」
  「全く…ふうー、さて、気をとりなおして書類整理するか。ん?なんだこれ?」

  「え?ああ、平さん宛てのメモですか、凄い量ですね…」
  「はあ……、ええなになに【 包括の白石さんから℡あり 
  八雲さんのことでC/B(コールバック)お願いします とのこと 】
  ああ、今の件かな…ええと【 橋爪さんの娘さんから 
  橋爪さんがまた車を運転しているとのこと 

  今日ガレージを壊したので、何とか免許をとりあげるよう説得してください とのこと 】
  また、運転しだしたんだ、全くもう…、
  ええと 【 ニコニコ訪問介護から土曜日にヘルパーが訪問したら、
  水谷さん留守でした キャンセル料発生するのですが、その件で
  息子さんがご立腹しています。何度も説明しましたが、
  市にクレームをすると言っています。
  何とかしてください とのこと 】知らんよ、そんなこと。ニコニコさんで対処してよ・・・
  もう…ええと 【 横川病院のMSWから 星崎さんですが、
  来週ムンテラをします。やはり透析になってしまう とのこと。
  奥様の心配は退院後週3回の外来透析に連れていくのは大変との話あり 
  星崎さんに連絡をとってください とのこと 】
  そっかー、星崎さん、透析になってしまうんだ。
  となると、週3回の介護タクシーか、民間輸送しかないかなー」
  「透析ですか、星崎さん大変ですね。そういえば、この間、ひのでクリニックの人が
   パンフを持ってきてましたよ。ええと、たしか、無料送迎って言ってましたけど」
  「ほんと?そっか、じゃあそれでいただき。退院後はそこの外来にすればいいや。
  そしたらまずは、横川病院に一報いれておかないと。
  よし、次、
  ええと 【 寺松さんから 泉訪問介護のヘルパーは全く何もしない。
  草むしりをしてくれないので、土曜日に自分でしたら、腰を痛めてしまった。
  どうしてくれるんだ とのクレームあり ※ その後3回連続℡あり 】
  何だこりゃ、クレームじゃないでしょうに」
  「寺松さんからですか、困ったものですね、あの人には」
  「ヘルパーさんはできないから、人材センターさんに頼んだんだけどね」
  「でもダメだったんですか」
  「お金が多少かかるからね」
  「近くに息子さん、住んでません?」
  「うん…でも、色々あるみたいで」
  「そうですか…。でも平さん、休み明け早々大変ですね」
  「うん、まーこれがケアマネの仕事だからしょうがないよ」
  「いっそ、転送でも良かったんじゃないですか」
  「いや、転送するとおちおち休めないからね、こっちが倒れては元も子もないし」
  「それでもやめられないんですか、ケアマネって」
  「そうだね、不思議とこれがやめられないんだよねー。自分でも分からないけど。
  ええと最後がこれか。ええなになに。あ、留守さんだ。【 留守さんのお嫁さんから 
  土曜日の夜に救急車で医療総合センターに搬送され、そのまま入院となりました。

  やすらぎの森とすこやか福祉用具にはまだ連絡とっていません。連絡をお願いします。
  退院が決まりましたら、また連絡します とのこと 】ええ!!留守さんが入院?!」
  「留守さん、入院したんですか?」
  「うん、土曜日の夜みたいだけど。それも救急車だって」
  「ええ?一体何があったのかしら」
  「うん、奥さんに電話してみる」
  「そうですね、心配ですね、留守さん」
  「うん…大変なことになってなければいいけど…。あ、もしもし……」

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等は
 全て架空のものであります。

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作:なおとっち

第14話 サービス担当者会議ということ


  「―――で、このようなプランでよろしいですか」
  「ええ、いいですよ。いいわよね、お母さん」
   いいです。
  「それでは、来月より、このプランでいきたいと思います。まー前回と内容は
   変わりませんが」
  「ところで、平さん、母の認定が今回は少なくなりましたけど、どうしてかしら」
  「ええ、前回は病院でしたからね、それから半年経って、留守さんのご状態が良く
   なりましたから。介護度の物差しは、≪介護の手間≫をみるので。そういう意味
   では、むしろいいことだと思います。プランが適正だったともいえます」
  「ふうん、そうなんですね。なんか、ちょっと損した気分になったものですから」
  「あはは、中には、そのような感じを抱く方もいらっしゃいますよ」
  「介護用ベッドとか、車椅子は今まで通り使えるんですね」
  「ええ。今回は《要介護2》ですから、大丈夫です」
  「引き続き、《すこやか福祉用具》の森 新太郎をよろしくです!」
  「ふふふ、よろしくね、森さん」
   またこの人と付き合うのか。
  「そういえば森さん、例のあのロボットは、どうしたんですか」
  「はい。《ゲッターロボすこやかスペシャル》ですね。あれは現在うちの社の倉庫に
  眠っております」
  「ははは、そうなんだ」

  「それはそれはデカいですからねー。涅槃像のような形で眠っております。いかが
   ですか、高村主任さん、一つ《やすらぎの森》さんで使ってみては」
  「ええ?結構ですよ、うちでは置き場所がないですから。あ、そうそう、
   この間、留守さんのお宅がテレビに出てましたでしょ、ねー奥様」
  「ああ、そういうこともあったわ。なんか《珍百景》とかいう番組で、お宅にある
   あのロボットを撮影させてください、て番組の人が言ってきて」
  「奥様もしっかり映ってましたね」

  「まーそういう機会ってないから、ふふふ、しっかり映っちゃったわ」
  「留守さんは出ていませんでしたけど」
  「母は恥ずかしがって出なかったのよ、ね、お母さん」
   バカでかいロボットの前では、映りたくありません。
  「クミちゃんは出たのよねー」
  「はい奥様、ちゃっかり映りました」
  「じゃあ奥さん、森さんのロボットもまんざら迷惑ではなかったようですね」
  「ふふふ、そうね平さん。でも主人は多少嫌がってました。何でも出勤の時
   ロボットの股の間をくぐるのがイヤだ、て言って」

  「はははは、そうだったんですか。ところで、奥さん、私まだ、ご主人にお会い
   したことないんですよね」
  「あら、そうだったかしら」
  「ええ。皆さんはありますか、高村さんや森さんはお会いしたことありますか」
  「そういえば私もないですね。まー私の場合送迎には乗らないからなんだけど、
   でもうちの職員に聞いても、多分お会いしたことはないと思いますわ」
  「僕もありませんねー。平日は、まーお仕事だとしても、休日もいらっしゃら
   ないことがありますね」
  「そうねー、普通のサラリーマンより、ちょっと忙しいのかな」
  「どんなお仕事なんです?」
  「うーん…何て言ったらよろしいかしらね」
  「あ!」
  「ん?どうしたの、クミちゃん」
  「皆さん、これで分かると思いますよ。今、テレビに出ていらっしゃるから」
  「ええ、そうなんですか!芸能人なんですか、へー」
  「あ、クミちゃん…」
  「ほら、確か今NHKで…」
   嫌な予感…
   プチ
  「ク、クミちゃん…」
  「え?あれ…」
   ………
  「ん?これって、国会中継ですか。国会中継ですよね…」
  「そうですね、ああ、新政権の首相が出てますよ、ほら…。で、ご主人は…」
  「旦那様は、ほら、今、答弁している人がそう………」
   プチ
  「あ」
  「い、いやだわ、クミちゃんたら。番組間違えて、もう」
  「え?奥様…」
  「じゃあ、やっぱり芸能人なんですか」

  「え?そ、そうね。まーでもいいじゃないですか、うちの主人の話しは、ね」
  「そ、そうですね、今日は留守さんのサービス担当者会議ですから、あはは」
  「そういえば、平さん、飯田先生は結局いらっしゃらなかったですね」
  「ええ、さっき電話したんですが、一応むかってる、とはクリニックの人が言って
   ましたけど」
  「飯田先生もいつまでもお若いですよね。お母さんと確か同級生だったと思うわ」
   私より、1歳上ですね。
  「そうなんですか、へー」
   ピンポーン
  「あ、もしかしたら先生かな?クミちゃん、出てくれる」
  「はい。―――はーい、あ、先生」
  「ごほほほん、ごほほほん、い、いやー、家を間違えてしまったよ」
  「先生、わざわざすみません、《支援センター》の平です」
  「へ?」
  「あ、ええと、平です…」
  「ほう、そうかいそうかい。で?」
  「は、はい…今日は留守さんのサービス担当者会議でして」
  「留守さん…おおう、留守さん、具合のほうはどうじゃ。ご、ごほほほん」
   変わりないですよ、先生こそ、どうしたんですか、具合悪そうですけど。
  「ごほほほん、ううん、どうも、喉の具合が悪くてなー、もう齢じゃな」
  「先生、先週お電話でお話ししましたけど、何か現在のサービスで、ご意見等は
   ありますでしょうか」
  「ん?ご、ごほほほん」
  「いえ、ですから…」
  「留守さん、ほら、カステラを買ってきたぞ、のー、奥さん、お茶を出しておくれ」
  「え?あ、は、はい」

  「ほれ、留守さん、おいしそうじゃろ。ご、ごほほほん」
   おいしそうなカステラですね。
  「せ、先生…」
  「君も食べるか?ん?月に1回の茶飲み会は楽しいのー。ごほほほん」
  「ちゃ…茶飲みねー…。はい、カステラ戴きます」
  「ほら、皆さんも遠慮せんと、どうぞ…ごほほほん」

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等は
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作:なおとっち

第13話 米田さんの恋ということ

  「あら、お母さん、このスカートはなに?」

 「え?ああ、こんどの『やすらぎ』に着ていく服だよ」
  「まあ、珍しいわね、お母さん」
  「ふーん、そうかい。最近よくはいてるよ」
  「そうなんですか」
  「そうよ、ねーポチ」
   ワンワン(確かに、最近多いです、ママ)
  「へー、お母さんがねー」
  「なんだい、カズコさん?私がスカートはいてはおかしいっていうんですか」
  「え?や、やだわーお母さんたら。いえ、そうじゃないんですよ、ただねー」
  「ただ、なんだい?」
  「ほら、この間、イオンに行ったときに、珍しく化粧品を買ったでしょ」
 
 「それがなにか?」
  「いえ、普段買わない、口紅とか、ファンデーションを買ったから…」
  「カズコさん」
  「はい」
  「あのね、私だって、女なのよ」
  「も、もちろん、ですよ」
  「なに、その意外そうな返答は」
  「え、そ、そんなんじゃありませんよ。どうしたんですか、お母さん、やけにからむ
   じゃないですか」
  「からんでませんよ、あのね、そうやって年寄りをバカにするからですよ」
  「バカにはしてませんよ、お母さん。いえね、お化粧品とかね、いつまでも若々しく
   いていただけたら、こんなに嬉しいことはありませんよ。私思ってたんです、お母
   さん、もっとおシャレすればいいのにって」
  「あら…そうだったの」
   ワンワン(ママ、うまくきりぬけた!)
  「そうですよ、ほら、ポチだって、そう思ってた、て言ってるじゃないですか」
  「そうなのかい、ポチ」

   ワンワン(いえ、ぜんぜん)
  「そうかい、そうかい、ポチ、お前もそう思ってくれてたのかい。いや、カズコさん、
   私の早とちりでした。すまないね」
  「いえ、いいんですよ、お母さん」
  「そうかそうか。いや、私はてっきり、年がいもなくおシャレなんかして、というふ
   うに思ったもんだから。そうかそうか、じゃー話しは早い」
  「え?」
  「いやなにね、駅前に今度エステができてね、ほら、この間、チラシに出ていたあれ
ですよ、でね、そこは会員制でさ、これがまー高いってありゃしない」
  「ああ、そういえばありましたね、そんなチラシ」
   ワンワン(いやな予感ですよ、ママ…)
  「まー私も米寿を迎えたばかりだし、ご褒美にね、会員になってきちゃった。あはは」

  「え?」
   ワンワン(きちゃった、て…)
  「それからね、足腰も弱ってきたから、こりゃ何かしないといけないし、で、社交
   ダンス教室にも通おうと思って、それも入会してきちゃった。あはは」
  「………」
   (………)
  「そうなんだよねー、カズコさんもそう思ってくれてたか、あー良かった。このこと
   は言わないでおこうと思ってたんだけど、そうかいそうかい、カズコさんがそう思
   ってくれて安心したよ。いやー、言ってスッキリした。いや、家族でもね、なんか
   隠し事をするのは、どうも気になってねー」
  「お、お母さん…」
  「ん?」
  「エステやダンス教室て、お母さんの年金だけでは、無理ですよね…」
  「そうだよ」
  「てことは?」
  「てことは、って、決まってるじゃないか、ひろあきのカードからですよ」
  「パ、パパの…」
  「そうですよ。私の年金じゃ、たかが知れてるじゃないか」
  「あ、ああああ」

   キャンキャン!(マ、ママが倒れた!)
  「楽しいわよ、社交ダンス。カズコさん、この間ね、体験コースに行ったのよ」
  「ああああああ」
  「良かったわー、チョーさんがまた、私をリードしてくれてね」
  「ああああああ……え?チョーさんって誰なんですか?」
「言わなかったっけ?同じ『やすらぎ』に行っている人よ」
  「だ、男性ですか?」
  「ばっかねー、当たり前じゃないの、女同士で社交ダンス行ってどうすんの?」
  「そ、そうですけど…、チョーさんって言うんですか?」
  「そうよ、本名は、なーんか長ったらしい名前だったけど、で、そのチョーさんが
   誘ってくれたのよ。≪米田さん、是非私と一緒にダンスしませんか≫って」
  「は、はあ…」
  「それにね、私に歌まで作ってくれたのよ、短歌が趣味らしいのよね、私にね、
   ≪米田さん、あなたの歌を作りましたので、是非聞いてください≫って」
  「………」
   ワンワン(それで、急におシャレしだしたのか!)
  「そ、その人は独り身なんですか…」
  「そうそう、奥さんがずいぶん前に亡くなってね、まーでも、女たらしがあるからね」
  「女たらし?」
  「そうですよ、以前は同じ仲間の、あ、『やすらぎ』のね、留守さんに夢中だったし」
  「ああ、留守さんね。以前『やすらぎ』で敬老会があった時にお会いしたわ」
  「そうかい?留守さんも、なかなかの女よ。チョーさんが気があることを知っていて
   逆手にとってる感じがするわ、ありゃあ」
  「そうですか、そんな方には見えなかったけど」
  「ところがどっこいですよ。当初は応援する気でいたけどね、あまりにもチョーさん
   をあしらってるから、まーなんてひどい女なのかしら、て」
  「早い話、お母さんは、そのチョーさん、て人が好きになったのね」
  「あ、あははは、あら、やだ。そんなんじゃありませんよ。でもね、私だって女です
   からね、そりゃー男に声をかけられて、嫌な気はしませんよ」
  「それで、スカートにお化粧品にエステ、そして社交ダンスですか」
  「ま、そういうことね」
  「で、支払いはパパってことですか」
  「もちろんですよ。あと…」
  「え?ま、まだ出てくるんですか…え?あははは…まさかね…あははは」
  「あと、今度銀座にでも行って何かプレゼントしようかと思って、で…」
  「あ、ああああああ」
   ワンワンワン!(マ、ママがまた倒れた!)
  「ついでに、社交ダンスの衣装も買おうと思ってね。あはは」
  「ああああああああ」

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 全て架空のものであります。

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作:なおとっち

第12話 米田さんと昔の生徒さんということ

  「ところでカズコさんや、「やすらぎ」はまだかいのー」
  「え?い、いやだわ、お母さん。デイサービスは今日お休みですよ」
  「ほう、そうだったかい?」
  「そうですよ」
  「ふーん、では、ポチと散歩でも行くとするか」
  「でも今日は雨ですからちょっと無理よ」
  「うん、じゃあ行ってくるよ、ほれ、ポチ、散歩に行くよ」
   ワンワン(いえいえ、今ママが雨だって言ったじゃない)
  「ほー、ポチ、そんなに嬉しいか、お婆ちゃんと行こうな」
   ワンワン(だから雨降ってるって!)
  「そうら、行くぞー」
  
  キャンキャン(やだやだ)
  「お母さん、だから雨降ってるから今日はダメですよ」
  「ん?ほう、雨かい」
   ワンワン(そうそう)
  「そうですよ」
  「ふうん、じゃダメだね。ポチ、残念だねー、あきらめなさい」
   ワンワン(ほっ。良かったー)
  「そんなに我がまま言うもんじゃないよ、ポチ。行けないものは行けないんだから」
   ワンワン(そうじゃないよ、嬉しいんだよ!)
  「あ、そういえば、お母さん、今日は昔の生徒さんがいらっしゃる日じゃない」
  「ん?そうかい」
  「ええ、たしかそうですよ」
  「じゃあ、カズコさんや、三味線を出しておいてくれ」

  「え?いいですよ、お母さん、生徒さんはお母さんの顔を見にくるだけですから」
  「そうは言ってもねー、やはり私が弾かなければねー」
  「うーん…じゃ一応用意はしておきますね」
  「頼みましたよ、カズコさん」
   (僕はそうっーと、抜け出して…)
  「これ、ポチ」
   キャン!(はい!)
  「お前も生徒さんが来たら挨拶するんだよ、だからここにいなさい」
   クーン…(わ、わかりました…)
   ピンポーン。
  「お母さん、いらっしゃったみたい。はーい。あ、加藤さん、お久しぶりですわ、さ、どうぞ、母も喜ぶと思いますので」
  「ご無沙汰しています。所用で近くまで来たものですから、米田先生にご挨拶をと
   思いまして」
  「ご丁寧に有難うございます。母もきっと喜びますわ。あ、そういえば加藤さん、
   今度、○○大学の教授になられたとか」
  「あははは、そうなんですよ。准が長かったですからね、まーほっとしました」
  「それはそれは、おめでとうございます。さ、どうぞ中へ」
  「お邪魔します」
  「お母さん、加藤さんがお見えになりましたわ」
  「米田先生、ご無沙汰しております。加藤です」
  「ほー、よう大きくなりましたなー」
  「ま、お母さんたら。加藤さん、どうぞ。今お茶を持ってきます」
  「お構いなく。先生、お元気でしたか」
  「そりゃもうこの通り。ところで、今日は月謝持ってきたかい」
  「え?あ、ははは、先生。こりゃ一本とられました。あははは」
  「はははは、たまってしまうと、後が大変じゃよ」
  「はい、分かりました、先生。ところで、お体はどうですか」
  「ほれ、この通りじゃ。ん?佐藤くん、今日は三味線はどうした?」
  「え?あ、加藤ですよ、先生。あ、今日は持ってきませんでした」
  「ダメじゃなー、そりゃ。何しに来たんじゃ、それじゃ教えられんぞ。いつも
   言うてるじゃろ。三味線は体の一部じゃって、肌身離さずじゃろに」
  「はい、以後気をつけます。あははは」
  「な、なーにが「あははは」じゃ。これ、佐藤!」
  「あ、し、失礼しました。申し訳ございません。で、私は…加藤ですが…」
  「どっちでもええ、佐藤だろうと江藤だろうと」
  「は、はい、分かりました」
  「じゃあ仕方ない、今日は口でやるしかないわい」
  「え?く、口ですか」 
  「そうじゃよ、じゃ、いくぞ。ベベベベ、ベンベンベン!べべべべ」
   ワンワン(か、かわいそう、加藤さん…)
  「あ、あ、はい…。ベベベベ…ベ…ベンベン…ベ」
  「ダメダメ!全くなっておらんよ!よく聞いてたか、え、佐藤!もう一回!」
  「は、はい。ベベベベ、ベン……、あ、次なんでしたっけ?」
  「ばーかたれー!何を聞いてたんじゃ!」
  「も、申し訳ございません」
  「佐藤、おまえはダメじゃなー、月謝は持ってこん、三味線は持ってこん、それで
   して注意力が足らん!佐藤、あのなー、そんなんでは立派な大人にはなれんぞ」
  「は、はい…」
  「よいか、もう一回だけじゃよ」
  「は、はい…はい」
  「はい、は一回でええ!」
  「はい!」
  「よろしい。ではいくぞ。ベベベベ、ベンベンベン!べべべべ」
  「では、ベベベベ、ベンベンベン!べべべべ」
  「そうじゃ、そうじゃ。やればできるんじゃないか、ええ、佐藤」
  「はい!有難うございます!」
  「はい、加藤さん、お茶でもどう…ぞ…。な、なにしているんですか、お母さん」
   ワンワン(大変なことになってます!)
  「それ、次!ベベベベベンベベベベベン、ベベンベベンベベベベベベベン」
  「はい!ベベベベベンベベベベベン、ベベンベベンベベベベベベベン」
  「いいぞー!アア、コーリャコーリャ、アラヨット!」
  「はい!アア、コーリャコーリャ、アラヨット!」
  「か、加藤さん…」
   ワンワン(この人、大学の教授なんでしょ)
  「ア、ソーリャソーリャ、ヨイサヨイサ、アラヨット!」
  「ア、ソーリャソーリャ、ヨイサヨイサ、アラヨット!」
  「あ…か、加藤さん…」
   ワンワンワン!(お、踊りだした!)
 
  「そーれ!この振付けじゃー!ヨーサ、ヨーサ」
  「はい!ヨーサヨーサ。こうですか!」
  「いいぞー!佐藤!ソリャソリャ!」
  「はい!アーソーリャ、ソーリャー!」
  「も、もう止められないわね、ポチ…」
   ワンワン(加藤さん、あなた、来る日を間違えたわ)