介護小説 衣裏の宝珠たち(いりのほうじゅたち) 19

2010年9月26日(日) | 介護小説 衣裏の宝珠たち

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等
 は全て架空のものであります。

第19話 長宗我部さんの女性論ということ 

  「きゃあー主任!また室井さんが、室井さんが!」
  「ええ!またー!中村さん、どこ、どこ!」
  「こっちです、主任!」
  「あ!室井さん!ダメですよ、長宗我部さんをヘッドロックしちゃー!」

  「アイタタタタタ」
  「こりゃ、チョー、まいったか、こりゃ」
  「室井さん、離れて。―――もう、何があったんですか」
  「オーイタタタタタ」
  「ふん、例によって例じゃよ。うるさいったらありゃしない、ふん」
  「え?あ、じゃあ、またあの短歌を詠んでいたんですか」
  「そうじゃよ、まーったくうるさいったらありゃしない。なーにが、≪君恋し…≫
   だ、お前はそれしか言えんのか、アホたれ」
  「………」
  「いいじゃないですか、別に誰に迷惑かけている訳ではないんだし」
  「俺は迷惑じゃよ、聞きたくもない俳句なんか!」
  「……短歌です……」

  「な…なにをー、こいつ、口が減らんやつじゃ!」
  「アイタタタタタ」
  「室井さん!だからダメですって!んもう、室井さんも室井さんですよ、いいじゃ
   ないですか、歌を詠むくらい、そんなに怒らなくても」
  「ふん、こいつが女たらしじゃからよ」
  「え?どうしてです?」
  「こいつは、米田のばあさんと付き合っているにもかかわらずだ、まーだ、留守さん
   をあきらめきれん。いいか、チョー!二股かけよう、なんて男の風上にもおけん」
  「そ、そうなんですか……長宗我部さん…」
  「い、いえ、私はただ、自分の気持ちを正直に女性に伝えているだけです」
  「………」

  「これは罪ですか、高村主任さん。女性に愛を伝えることは罪なんでしょうか」
  「い…いえ…そんなことは…」
   「齢(よわい)を重ねても、女性を好きになることは罪悪なんでしょうか、あの
   トルストイもそんなことを言いましたか?」
  「え?ト、トルト……スイ?」

  「トルストイです。例え副腎ホルモンが減少したとしても、私という、こころが
   それを超越しているんですよ、そして愛が生まれるんです!」
  「え…ええ…」
  「な?こいつ、おかしいだろ」
  「モーパッサンの≪ 女の一生 ≫を読みましたか?」
  「モー…パスタ…?」
  「モーパッサンです!」

  「い、いえ…あ、ははは、私は本が苦手で…はは」
  「ダメです!」
  「え?」
  「ダメですよ、それじゃー!女でこの世に生まれながら、くっー!嘆かわしい!」
  「は、はあ…」
  「な?段々腹が立つじゃろ、この男には」
  「石川さゆりですよ!」
  「へ?」
  「石川さゆりです!知ってますか!」

  「は、はあ…知っていますけど…な、なんか唐突すぎて…」
  「なんだこいつ、また訳の分からんことを言い始めたぞ」
  「♪隠しきれーないー移り香がー、いつしかあなーたにー、浸みーついたー♪」
  「今度は歌いだした!」
  「♪誰かに盗らーれるー、くーらいならー♪はい!」
  「え?」
  「主任さん、この次!」
  「え…ええと…」
  「♪あなたをころーしてーいいーですーかー♪でしょ!」
  「は…はあ…」
  「こいつ、結局自分で歌いきりやがった」
  「≪ 天城越え ≫です!」

  「え、ええ、それは知っていますが…」
  「女の情念を歌っています」
  「そ、そのようですね…」
  「情念はありますか?」
  「じょ…情念というのは…どうも私には…」
  「私にはあります!」
  「お、女の情念が…ですか…」
  「あるというか、分かるんですよ、私には」
  「は…はあ…」
  「主任さん、こんなバカと関わるだけ時間のムダじゃよ、ほれ、もう送迎の時間
   じゃろに、準備せんでいいのか」
  「あ、そ、そうですね、準備に行かないと。長宗我部さん、楽しいお話しをありがと」
  「訓練されておるねー、さすが主任さんになると。あんたのほうがよっぽど偉いぞ」
  「高村主任さん!まだです、まだですよ、これからが核心なんですよ!」
  「これ、チョー。お前みたいなのに付き合っている暇はないんだって、主任さんは」
  「ここからなんですよ、留守さんも米田さんも、私に恋焦がれる理由は!」
  「は?お、お前、なんちゅう解釈してるんだ、おめでたい奴だ…」
  「あ、あははは、長宗我部さん、有難うございました。また続きは来週聞かせて
  下さいね。とてもためになりました」
  「高村主任さん、独身でしょ。なぜか分かりますか?」
  「え?」
  「主任さん、チョーにヘッドロックしていいなら、いつでも合図をくれ」
  「一体なぜか?ご自分で問いかけたことありますか?」
  「と、とくには…」
  「でしょ!だから今もって独り身なのです!」
  「は、はあ…」
  「いつでもいいぞ、ヘッドロックする準備はできてるぞ」
  「その答えは、私が知っています」
  「あ、いえ、私はただ単純にまだ独りのほうが楽だからと、それだけなんですけど…」
  「違います!」
  「へ?」
  「私には分かります。その答えは!」
  「いつでもいいぞ、やるか主任さん?」
  「その答えは、実はですね!」
   パチ(高村主任のウインク)
  「こりゃーチョー!」

  「あ!アイタタタタタタ!アイタタタタタ!」
  「さ、送迎の準備に行ってこよっ」