介護小説 衣裏の宝珠たち(いりのほうじゅたち) 8

2010年4月18日(日) | 介護小説 衣裏の宝珠たち

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等は
 全て架空のものであります。

となりの芝が青く見える・・・
  近くを捨てて遠くに求める・・

作:なおとっち

第8話 長宗我部さんに春が来たということ

   ―― ある日、帰りの送迎を待つ時間のこと ――
  「あ、あのう…、留守さん」
   はい?
  「あ、実は、わ、私の趣味は、う、歌を詠むことでして」
   え?
  「そ、そのう、私は、留守さんに、自分の歌を、そのう、プレゼントしたいと…」
  「え?長宗我部さん、歌を歌うのが趣味なんですか?カラオケによく行くんですか?」
  「あ、いやいや、中村さん、違います。カラオケではなく…そのう…短歌ですよ」
  「へー、ゴーシチゴー、のあれですか?へーそうなんだ」
   それは俳句です。
  「ははは、それは…、あ、まあいいですが…そんなもんです」
  「どういう歌が好きなんですか」
  「やはり、藤原定家の歌ですね」
  「誰それ?」
「平安から鎌倉時代にかけて活躍したお人です」
  「ふーん、私は、やはりユーミンですね。あ、室井さんは?」
  「なに?」
  「歌は誰が好きですか、て?長宗我部さんが聞きたい、て」
   いや、言ってないでしょ。
  「なにを!おう!チョーさん、俺の好みを聞いてどうするんじゃ!」
  「いや、あのう、私は、別に、室井さんのは…、別に…」
  「あ!なんだ!俺の好みには興味なし、てか?あ?」
   また面倒くさくなってきたよ。中村さん、そっちに振っちゃだめでしょ。
  「あ、いや、私は…別に…」
  「あい変わらず、煮え切らんのう。俺の好みは、ずばり!美空ひばりじゃ!」
   お?
  「はあ?」
  「ん?なんじゃ、チョーさん、その、意外そうな顔は?おう、俺がひばりじゃ
   あわないって、そう言いたいのか、おう」
  「いたたた、私は何も…」
   またヘッドロックする。
  「あ、ダメよー、室井さん、ヘッドロックしちゃ。へー、美空ひばりなんだー」
  「おうそうよ。ありゃーいいよ、好きだねー。吹けば飛ぶような将棋の駒に、
   賭けた命を笑わば笑え、くー、いい文句だねー!」
   そりゃ、《王将》でしょ、村田英夫。
  「私は…恋の歌が好きなんです…例えば…」
  「ユーミンもいいわよー。あと、サザンも好きよねー、『ふぞろいの林檎たち』
   いいドラマだったわー」
  「ふぞろいだー?リンゴがふぞろいじゃ、八百屋に文句言えー」
  「あははは、違うのよ、室井さん、ドラマの題名の話よ」
  「おう、そうか。いやー俺はリンゴより、バナナのほうが貴重だねー、戦時中は
   喰えなかったからなー」
  「例えば…こんな歌が、留守さん…」
   ん?
  「そっかー、今は普通だもんねー、室井さんの時代はそうだったのねー」
  「おう、そうよ。シベリアはきつかったぞー、本土に戻れた時、どんだけ良かったか!」
  「へー」
  「白妙(しろたえ)の袖の別れに露おちて…」
   「なー、チョーさん、ん?なんだ、呪文かそれ?」
     また入ってくる!
  「え?ははは…違います…、藤原…」
  「お?なんだー、その乾いた笑いは!このー!」
  「いたたた…、いや、別に私は…」
  「室井さん、ダメです。で、長宗我部さんは、その藤原って人が好きなんだ」
  「ええ、まあ…」
  「ふん、藤原だか、何だか知らんがね、俺はなー、こういうのが好きだねー。
   《願わくば、我に七難八苦を与えよ!》山中鹿之助じゃ!」
それは武将でしょ。
  「昔はなー、日本国民、みんな山中鹿之助だったんじゃよ、祖国のため!」
  「ふーん」
  「…身にしむ色の秋風ぞ吹く…」
   いい歌ですね。
  「そうよ!ところが、今の若いもんはどうじゃ!そんなの一人もおらん!」
  「留守さん…、これは、《新古今和歌集》でして…」
  そうですね。
  「どういう意味なんですか?その俳句は?」
  「え?ああ、聞いてらしたんですか…中村さん」
   凄い耳してますね、あなた。一方で歌聞いて、一方でコロコロ変わる話聞いて。
  「ええ」
  「ああ、これは…、その…、後朝(きぬぎぬ)を歌った…歌でして…」
  「何です、それ?」
  「いや…その…つまり…愛し合った…男女の…」
  「ええ?なになに!」
   喰いつきますね、そこだけは。
  「おう!そうは思わんかい!なー、チョーさん!」
  「はあ?」
  「おお!俺の話しを聞いてなかったんか?おお、チョーさん!」
  「いたたた、私は…いたたた…」
  「ん?どうじゃ、チョーさん、どうじゃ」
  「いたたた…わ、私は、ただ…いたたた」
  「ん?なんだ?何が言いたいんじゃ、お?」
  「いたたた、私は、私は、」
  「お?」

   !!!
  「!!!」
  「!!!」
 
   !!!
  「あ、あははは、ど、どうしたんですか急に大きな声で…長宗我部さん…」
  「お、おまえ、何かえらいもん喰ったんじゃないか?熱でもあるんじゃないか?」
  「ハア…ハア…ハア…」
  「春が来たんじゃ」
   ん?米田さん?
  「あ、米田さん、どうしたの?え?なに」
  「中村さん、春さ、春が来たんじゃよ、ふふふふ、のう、長宗我部さんや」
  「ハア…ハア…ハア…」