介護小説 衣裏の宝珠たち(いりのほうじゅたち) 12

2010年5月30日(日) | 介護小説 衣裏の宝珠たち

*この物語はフィクションであり、物語に登場する人物・団体等は
 全て架空のものであります。

となりの芝が青く見える・・・
  近くを捨てて遠くに求める・・

作:なおとっち

第12話 米田さんと昔の生徒さんということ

  「ところでカズコさんや、「やすらぎ」はまだかいのー」
  「え?い、いやだわ、お母さん。デイサービスは今日お休みですよ」
  「ほう、そうだったかい?」
  「そうですよ」
  「ふーん、では、ポチと散歩でも行くとするか」
  「でも今日は雨ですからちょっと無理よ」
  「うん、じゃあ行ってくるよ、ほれ、ポチ、散歩に行くよ」
   ワンワン(いえいえ、今ママが雨だって言ったじゃない)
  「ほー、ポチ、そんなに嬉しいか、お婆ちゃんと行こうな」
   ワンワン(だから雨降ってるって!)
  「そうら、行くぞー」
  
  キャンキャン(やだやだ)
  「お母さん、だから雨降ってるから今日はダメですよ」
  「ん?ほう、雨かい」
   ワンワン(そうそう)
  「そうですよ」
  「ふうん、じゃダメだね。ポチ、残念だねー、あきらめなさい」
   ワンワン(ほっ。良かったー)
  「そんなに我がまま言うもんじゃないよ、ポチ。行けないものは行けないんだから」
   ワンワン(そうじゃないよ、嬉しいんだよ!)
  「あ、そういえば、お母さん、今日は昔の生徒さんがいらっしゃる日じゃない」
  「ん?そうかい」
  「ええ、たしかそうですよ」
  「じゃあ、カズコさんや、三味線を出しておいてくれ」

  「え?いいですよ、お母さん、生徒さんはお母さんの顔を見にくるだけですから」
  「そうは言ってもねー、やはり私が弾かなければねー」
  「うーん…じゃ一応用意はしておきますね」
  「頼みましたよ、カズコさん」
   (僕はそうっーと、抜け出して…)
  「これ、ポチ」
   キャン!(はい!)
  「お前も生徒さんが来たら挨拶するんだよ、だからここにいなさい」
   クーン…(わ、わかりました…)
   ピンポーン。
  「お母さん、いらっしゃったみたい。はーい。あ、加藤さん、お久しぶりですわ、さ、どうぞ、母も喜ぶと思いますので」
  「ご無沙汰しています。所用で近くまで来たものですから、米田先生にご挨拶をと
   思いまして」
  「ご丁寧に有難うございます。母もきっと喜びますわ。あ、そういえば加藤さん、
   今度、○○大学の教授になられたとか」
  「あははは、そうなんですよ。准が長かったですからね、まーほっとしました」
  「それはそれは、おめでとうございます。さ、どうぞ中へ」
  「お邪魔します」
  「お母さん、加藤さんがお見えになりましたわ」
  「米田先生、ご無沙汰しております。加藤です」
  「ほー、よう大きくなりましたなー」
  「ま、お母さんたら。加藤さん、どうぞ。今お茶を持ってきます」
  「お構いなく。先生、お元気でしたか」
  「そりゃもうこの通り。ところで、今日は月謝持ってきたかい」
  「え?あ、ははは、先生。こりゃ一本とられました。あははは」
  「はははは、たまってしまうと、後が大変じゃよ」
  「はい、分かりました、先生。ところで、お体はどうですか」
  「ほれ、この通りじゃ。ん?佐藤くん、今日は三味線はどうした?」
  「え?あ、加藤ですよ、先生。あ、今日は持ってきませんでした」
  「ダメじゃなー、そりゃ。何しに来たんじゃ、それじゃ教えられんぞ。いつも
   言うてるじゃろ。三味線は体の一部じゃって、肌身離さずじゃろに」
  「はい、以後気をつけます。あははは」
  「な、なーにが「あははは」じゃ。これ、佐藤!」
  「あ、し、失礼しました。申し訳ございません。で、私は…加藤ですが…」
  「どっちでもええ、佐藤だろうと江藤だろうと」
  「は、はい、分かりました」
  「じゃあ仕方ない、今日は口でやるしかないわい」
  「え?く、口ですか」 
  「そうじゃよ、じゃ、いくぞ。ベベベベ、ベンベンベン!べべべべ」
   ワンワン(か、かわいそう、加藤さん…)
  「あ、あ、はい…。ベベベベ…ベ…ベンベン…ベ」
  「ダメダメ!全くなっておらんよ!よく聞いてたか、え、佐藤!もう一回!」
  「は、はい。ベベベベ、ベン……、あ、次なんでしたっけ?」
  「ばーかたれー!何を聞いてたんじゃ!」
  「も、申し訳ございません」
  「佐藤、おまえはダメじゃなー、月謝は持ってこん、三味線は持ってこん、それで
   して注意力が足らん!佐藤、あのなー、そんなんでは立派な大人にはなれんぞ」
  「は、はい…」
  「よいか、もう一回だけじゃよ」
  「は、はい…はい」
  「はい、は一回でええ!」
  「はい!」
  「よろしい。ではいくぞ。ベベベベ、ベンベンベン!べべべべ」
  「では、ベベベベ、ベンベンベン!べべべべ」
  「そうじゃ、そうじゃ。やればできるんじゃないか、ええ、佐藤」
  「はい!有難うございます!」
  「はい、加藤さん、お茶でもどう…ぞ…。な、なにしているんですか、お母さん」
   ワンワン(大変なことになってます!)
  「それ、次!ベベベベベンベベベベベン、ベベンベベンベベベベベベベン」
  「はい!ベベベベベンベベベベベン、ベベンベベンベベベベベベベン」
  「いいぞー!アア、コーリャコーリャ、アラヨット!」
  「はい!アア、コーリャコーリャ、アラヨット!」
  「か、加藤さん…」
   ワンワン(この人、大学の教授なんでしょ)
  「ア、ソーリャソーリャ、ヨイサヨイサ、アラヨット!」
  「ア、ソーリャソーリャ、ヨイサヨイサ、アラヨット!」
  「あ…か、加藤さん…」
   ワンワンワン!(お、踊りだした!)
 
  「そーれ!この振付けじゃー!ヨーサ、ヨーサ」
  「はい!ヨーサヨーサ。こうですか!」
  「いいぞー!佐藤!ソリャソリャ!」
  「はい!アーソーリャ、ソーリャー!」
  「も、もう止められないわね、ポチ…」
   ワンワン(加藤さん、あなた、来る日を間違えたわ)